既製服をよりはっきりと見極めるため、もう一方の存在である注文服と比較することにした。あまりにも当たり前で空気のような存在になっているから、既製服を語っているだけではその実像がつかみにくいからだ。パリの老舗ブランドのシャツ職人が来日したときのこと。彼が追い求める理想のシャツについて語っていたとき、興味深い言葉に私は反応した。「袖を通したとき、私の顔が浮かぶようでは失敗作なのです」とそのパリジャンはいった。私の顔が浮かんではいけない、というのは、決してつくり手が前面に出てはいけないという意味だ。その老舗は、上流社会の仲間入りをしようと思ったときに、必ずその門を叩かなくてはならないほど格式のある店である。そんな店が仕立てる服の品質や着心地以外で最上位のプライオリティにあがってくるのは、意外であるが「匿名性」なのだ。普通の人が見て「彼が着ているのはどこそこのシャツね」などと見破られてはいけないのだ。視点を変えると、同じ上流の者同士だけがわかる密やかな符号なのである。その匿名性はシャツを着る本人にも向けられる。シャツを着た際に、つくり手の顔が目に浮かんではいけないのだ。つくり手はでしゃばってはいけない、とそのシャツ職人はいったのである。すべての注文服(シャツだけでなくスーツやジャケットも)は、着手のパーソナリティと同化して一日を気分よく過ごせるものが本質だ。翻って、既製服はどんな服かというと、当たり前だがあなたに着られることをデザイナーや職人は認知していない。デザイナーの美意識が既製服の個性を決定づける唯一の舵だ。しかるに、既製服とは、まずそのデザイナーのつくる服が好きか、あるいはまったく知らなくても、それを着てみて自分の体に合っているか、自分の体を格好よく見せてくれるか、を判断する服、つまりデザイナーの美意識に自分を合わせる服なのである。一言でいって、既製服というものは最大公約数的なスーツだ。買う人のために、ではなく、多くの男たちのために標準的なサイズバリエーションを揃え、だいたい皆に合うようにつくられている。色や柄も定番に加え、流行しているものが過不足なく揃っている。デザインも同様だ。最大公約数的なスーツの欠点は、誰にでも合うようにつくられているから、個人個人にしてみれば完璧ではないということだ。皆が手軽に着ることができる半面、皆が少しずつ我慢しなければ成立しない。既製服とはそういう服である。
[関連情報]
コナカのスーツ通販
http://www.konaka.jp/
ボッテガ メンズ
http://www.bottegaveneta.jp/ja_JP/shop-products/Mens/designer-handbags
ボッテガ 公式オンラインストア
http://www.bottegaveneta.jp/ja_JP/shop-products